武藤手帖

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母の日

今年の母の日はkingly coffeeの猫印のコーヒーセットを贈った。

前日に届いたみたいで、直接でなくFacebookでお礼を伝えてくるあたりが母らしい

 

母とはこれまでにたくさんのことを話してきた。いまでもたくさんのことを話す。

友達のよう、だと感じたことはない

親子、だと感じることはなるべくしないように努めてきた。

子供心がそうさせるのか、不公平だと感じたり、不満に思ったり、ある時からそれはおんなとおんなでしかないから仕方ないんだ

と自分の中で泣きながら処理するようになった。中学校に入った時くらい

「それは間違っている」という言葉は届かなかった。

たまに謝られたけれど、あんなに言葉で責め立てられて、笑ってえへへごめん、で済まされる

 

子供の言葉は無力でなかなか届かない

けど、あの時の経験で私はものすごい天邪鬼なのだろうと思う。

 

こんなに嫌なのに、それでも私は母が好きなのに、なんできらいじゃないんだろう

なんで女同士なんだろう

とまで考えていた。病気だ。

 

 

子供の頃の記憶はぽつぽつと水たまり程度にしか思い出せない。

 

夜中に起こされて、今私が運転している赤色のイストの助手席に乗って、泣きじゃくって運転している母の横顔は思い出せる

 

結局私は自分の母が好きみたい。